街は静かだ

いつも特別何か聞こえてくるような街ではない
しかし、音が無い、という分類ではない静けさがあった

風も、草木も、音を立てるのを恐怖しているような…そんな気さえした

名雪が怯えからか、俺の手を強く握る

「名雪、手は離してたほうがいい」
「え?」

疑問を口に出した名雪だが、俺の顔を見てとりあえず手を離した

「…いつ何が来るかわからないから動きやすいほうがいいと思う…」

名雪も状況の異様さにそれを納得した

「とりあえずは病院だよね。あゆちゃんたちを迎えに行かないと…」

「ああ・・・」

だが、俺はなんとなくだがその病院が危険であることを考えていた
一般的にあんなものをばら撒くとしたらどこが一番有効か

健康補助などの名目で違和感無く投与できてしまうような場所はどこか

それに思考がたどり着いた俺の足はおのずと早足になる

名雪は余裕でそれについてくるあたりさすがだ

俺は感心しながら事態を考える

まずは地形

俺が何かの悪役で同じようにするならどうするか、
逃げられない場所を選ぶだろう

よく言う密室殺人、とはジャンルが少々違うが、
対象の人間に逃げ道の無い場を選ぶのはとても有効だと思う

逃げられて目的を達成できないというのは困るからだ

そう考えればこの街は非常に俺たちにとっては都合が悪い

まず、林道へと連なる一本の道路、そしてトンネルを
通って到着する電車、外との接点はこの二つしかない

それ以外は街は山々に囲まれている
しかも今は街中はともかく山々には深く雪の残る初春、山を越えていくのは不可能に近い

言うなれば陸の孤島にすぐになりかねない盆地なのである

どうしてそんな場所にこれだけの街があるのか改めえて考えると不思議だが、
例のアンブレラとかいう企業のカモフラージュに子会社が
巧妙に人を呼び込むように配置されていると考えるべきなのだろう

「祐一」
「ああ」

道中は異様な雰囲気ながらもあのカラスのようなものには出会わなかった

病院を見上げた二人の耳に誰かの悲鳴が届いたのはそのときだった

「行くぞ、名雪っ」

「うんっ!」

不要な混乱を防ぐため、コートの中のホルダーに銃を収め、リュックを揺らせながら俺と名雪は駆けた

 

 

カノンB〜遥かなる太陽の下へ〜

第二章−合流、そして決意−

 

 

〜しばらく前、病院待合室〜

「でもよかったですね。大きな問題は無くて」

「うんっ。これでみんなと遊びにいけるよ」

栞もあゆも体調に不安は残るが、さしたる問題はないと診断を受けたのだ
後は体力をつけていけばいい、という結果だった

「祐一さん迎えに来てくれるんでしょうか?」

「うぐぅ、意地悪なところがあるからどこかに隠れてるかもしれないよ?」

二人ともある意味痛いほどそれを知っているだけに苦笑する

「栞、終わったの?」

「あ、お姉ちゃん!」

かかった声に栞が顔を向け、声の主である姉の香里の元へと走り寄る

「こら、走っちゃだめでしょう? ゆっくりしなくちゃ」

そういってしかる香里だが、走るぐらいは問題がなくなったことはすでに知っている
単に今が夢のように思えるからついそう言ってしまうのだ

「香里さん、栞ちゃんのお迎え?」

「ええ、そうよ。でも名雪や相沢君を待とうかしら」

ウェーブのかかった髪を手で払いながら香里はあゆに答えた

「そうですね。じゃあとにかくロビーに…え?」

病院の中の雰囲気が消えた

いや、何かに上書きされるかのように一様の雰囲気を
まとったために消えたように感じたのだ

「な、なんなの…これは…」

「うぐぅ、体が…震える…?」

三人は身を寄せ合うようにして周囲をうかがう

「…じっとしていても仕方が無いわ。ロビーに行きましょう」

無言でうなずく二人、栞はもとよりもう香里にとっては
妹分同然のあゆも引き連れ(本人は同い年だと言うだろうが)ロビーに向かう

それは生き物としての勘か、はたまた優等生としての知識か、
香里は廊下のすみのロッカーから掃除用と思われるモップを手に持った

「何も…無いわよね」

香里が曲がり角から様子をうかがうが、同じく困惑した様子の
ナース、医師、患者や見舞い客などがいるだけで異変はないように思える

ほっと息を香里がはいた瞬間であった

つんざくような悲鳴、おそらくは女性の物
一部冷静な香里の思考がそうとらえた

「うぐぅっ!?」

「きゃっ!」

周囲のほかの人たちと同じく、香里の背後の二人も悲鳴を上げる

「今のは…後ろ?」

大学付属病院であるここは、研究室や…安置室などは
ほぼ同じ区画にある。言い方は悪いが利便性があるのだ

悲鳴が聞こえたのはその区画の方角であった

視線を転じると慌てた様子の医師や、大学関係者と思われる
私服姿の男女が…腰でも抜けたのか床に座り込んだまま後ずさっている

(いったい何が?)

香里がそう疑問を感じたとき、ソレは日の元に姿を現した

自分も、二人も息を飲むのがわかる

現れたのはB級ホラーにでも出てきそうな、
しかし、姿だけなら最新の映画ですら再現が困難な姿をした死体そのものだった

ただし、動いている

そう、解剖の後か、髪はそられたソレは、状況的に明らかにおかしいが
体のあちこちを腐敗させたかのようにただれ、歩く姿はまさにゾンビ…

「え…えぅ・・・」

「二人とも、逃げるわよ」

栞の、妹のうめきに我を取り戻した香里は冷静に言い放つ

いや、冷静でいようとしなければ悲鳴をあげてしまいそうだった。
しかしここで悲鳴をあげれば二人も恐怖に支配されてしまう

そう悟っていた香里はかろうじて理性と冷静さを身の内にとどまらせていた

二人が動き、ソレを視界からはずしたため、見なかったのは幸運であろう。
倒れ付すようにしてソレは恐怖にか動くことのままならない男性の一人に襲い掛かった

なぜ襲い掛かったとわかったのか、倒れ付すと同時に悲鳴と、
肉が噛み千切られる嫌な音が香里の耳に届いたからである

「そんなっ!?」

香里は意味も無くうめき、先を行く二人に追いつくようにしてロビーに向かう

 

 

「香里っ! あゆちゃん!」

「栞、あゆ、香里も・・・」

俺たちが三人を発見したときは病院は尋常ではない混乱であった

「相沢君、遅いわよ」

そう文句を言う香里の顔色は悪い
彼女の手にしていたモップがカランと音を立てて床に落ちる

見てはいないが状況的に俺たちの、いや混乱の様相からして
それ以上の何かが起きたに違いない

「香里、何が起きた。要約でいい」

「ええ。私もよくわからないのだけど・・・いい? 笑わないでよ?
・・・死体が動いているわ。しかも・・・攻撃、いえ・・・捕食かしら」

香里が震える声でつむいだ情報は俺の想像と一致していた

「わかった。名雪、お前はあゆと栞を慰めてやってくれ。
気が落ち着いたら俺の分のリュックを持って視界を確保しつつ
帰ってくるまで待機していてくれ。
香里、できれば名雪から適当に受け取っていっしょに来て欲しい」

俺はそう言い、リュックをその場に置いて三人が駆け寄ってきた方向へと歩きだす

「ちょっと、相沢君。受け取るって、それにこの中身・・・」
「香里、多分これなら大丈夫だよね」

名雪が静かにホルスターごと差し出すのは俗に言うハンドガン
と呼ばれる種の銃、扱いやすさではトップに入るだろう

名雪の父愛用、9mmパラペラム弾を打ち出すタイプだ

「訳は後で話すよ・・・今は・・・ごめん」

「わかったわ」

香里は静かにそれを受け取る

俺はそれを見てから動き出した

 


音はあった

ただし、日常の中では聞くことの無い類の音

これを聞こうと思ったらサバンナにでも行き、身を肉食獣に差し出す他はあるまい

肉を・・・噛み切り、捕食する音
そして、悲鳴をあげる器官をすでに失い、
尽きかける命のうめきと空気の音だけが響く

日常を、頑ななまでに拒絶する力がそこにはあった

 

「…」

俺は言葉を失っていた

目の前に存在する何か、そう…何かだ

俺にはそれを正しく分類する知識が無かった

廊下の壁にある看板がこの先が最悪の状況になっていることを容易に想像させてくれる

−投薬実験室−

「相沢君…」

「香里か」

少し震えているがしっかりとした足取りで香里が追いついてくる

手には名雪の持ち出していた一丁

「あいつらは…何?」

「はっきりとはわからない。だが、化け物だ。…詳細は後で話すが、秋子さんは
こうなった原因のせいで…もうこの世にいない」

ぎりっと力をこめ、ホルスターの中の金属の感触を確かめる

「秋子さんが…いない?」

冗談でしょ、と続けようとしたのかそんな顔も俺の表情の前に消える

そんな俺たちにソレは興味を示したかのように顔を向ける

混乱は無い、したら…恐らく自分が死ぬ

俺は普段の動きそのままに照準を合わせ、引き金を引く

「くっ!」

TVのスクープ映像などで聞ける音とは明らかに違う発砲音が俺の耳に届く

同時に予想の範囲内ではあったが衝撃が伝わる

「足に直撃だぞ!?…痛覚も無いのか!?」

「映画とかでも普通の部位は無駄ね…」

構えてはいるが恐怖にか香里はほとんど撃てないだろう

実際に指が震えている

「…ちっ」

俺だって人間だ

怖いし…何より元人間を冷静に撃てるわけではない

だけど…撃たなければいけない

「これで効いてくれよ!」

続けて俺はなおも近寄ってくるソレの頭部だった個所にハンドガンを撃ちこむ

「…やった…か」

気を抜いた途端、奥からの風によって(空調だろう)
やってきた匂いに吐き気を催し膝をつく

「く…はぁはぁ…香里、動けるか?」

「ええ…、まだ…来るわよ」

香里に言われ、顔を上げると奥の暗がりからは小柄な何かや
見覚えのある形のソレらがあるいは生き残りを捕食し、
あるいはさらなる獲物を求めてか徘徊する姿が見える

「いったん名雪達の場所まで戻る…」

「そうね…そうしましょう」

刺激しないようにゆっくりと、だが急いで移動する

 

名雪は逃げ惑う人々の中、
公衆電話の中にあゆと栞を入れさせ、
自分ひとりで荷物とともに周囲を警戒していた

そして俺たちに気がつくと手を振る

「香里、祐一、無事だったんだね。こっちは特に…無いよ」

「お姉ちゃんっ」

「祐一君っ」

栞とあゆが香里、俺と抱きついてくる

「話は後だ。ここを出る。あゆと栞は荷物を担当してくれ。
名雪、香里、後方と左右は警戒頼むぞ」

「ええ」

「わかったよ」

なおも混乱と悲鳴が響く病院を俺たちは抜ける

 

 

 

 

 

〜ものみの丘〜

「美汐、下がって」

「どうしたのですか?」

笑顔でウサギに餌をまいていた真琴の声に美汐は声をかける

「…なんだろう…森が…泣いてる。わかる?」

真琴は目の前のウサギに語りかける

戻ってきた真琴、しかし妖狐の力は一部健在のままであった

ウサギはぴくっと耳を動かした後、真琴の手に顔を摺り寄せる

「…美汐、逃げるわよ」

「え?」

美汐が疑問を口に出してすぐ、真琴はそんな美汐の手を握って駆け出した
ウサギは真琴達とは違う方向に、それでも全速で駆ける

その背後に黒い影が襲い掛かるように迫った

「っ!? 炎よ!」

一日一回、正確には一日分の休養で一回

妖狐としての力は伝承に近い形で発現可能だった

そして、真琴の声に答えて足止めのための炎の壁は一時的に丘全体を包む

「今のうちに、祐一の家までっ!」

「わかりました、真琴」

異常事態であるということを察した美汐は迷うことなく真琴に続く

(祐一、無事でいなさいよ…)

 

 

 

〜学校御剣顧問室前〜

「舞、こんな所にどうしたの? 卒業前の忘れ物?」

「…佐祐理、できれば離れないで」

舞の言葉に佐祐理は不思議そうな顔を浮かべたままだった

舞の手には在籍中、わずかな期間だったが教えを受けた師匠の持ち物、
この学校の剣道部顧問を務める先生の私物があった

しかしこれは舞が必要になったときに取りに来るという約束の元、
卒業後も必要とされる事の無いまま保管されていたものでもあった

合鍵が音を立て、舞のポケットにしまわれる

「祐一の家まで行く。佐祐理も一緒に…」

「祐一さんの家に…? 遊びに行くんだ?」

舞は頷きもせず、歩き出す

佐祐理はトコトコとその後をついていく

「…この先…いけないっ!」

舞は佐祐理を突き飛ばすように廊下の端に左手で押しやる

「ふぇ!?」

佐祐理は押されたことに驚き、同時に目の前で起きた事に驚愕の声をあげる

「せいっ!」

ガラスの割れる音とともに外から何かが侵入し、舞がそれを抜き放った剣で切り払う

不気味な悲鳴をあげ、ソレは廊下に落下する

「…カラス?」

佐祐理はつぶやく、しかし半分正解で半分はずれであった

かつでカラスであったもの、それがソレの正体だった

「…普通の生き物じゃない…佐祐理、立って…」

「あ、うん」

舞は佐祐理を引き連れ、右手に持った剣に自分の顔を映しこむ

(先生…守るための力を…守る剣を!)

かつて教えをわずかながらも受けた師は、
倒すためではなく守るための剣を身に着けろと言った

そんなことを舞は思い出しながら、周囲を見渡しながら歩みを進める

ピチャ・・

表現するならまさにこの言葉であった

舞はすばやくそちらに姿勢を向け、固まった

背後の佐祐理も同様に息を飲む

「久瀬…さん?」

佐祐理のつぶやきが廊下に響く

それに反応するかのように二人には忘れられない相手、
元生徒会長、現在大学に通いつつ生徒会相談者でもある久瀬だったソレが振り返る

口元から体の前面のほとんどを、生徒会役員の少女の血で染めながら…

少女が事切れているのはその虚ろな瞳が証明している

何より体が欠けていた

「ウ、ウウウウウウウウゥゥ」

「…違う…もう…人間じゃない…?」

舞はつぶやき、冷静に剣を構える

「佐祐理、私を信じて…彼はもう…人間じゃない」

佐祐理が声を上げる前に舞は手の剣を一閃する

鈍い音、そしてソレの右腕が折れ、返す刃が左腕を断つ

「…嘘…」

佐祐理の絶望の声

しかし舞が切ったことに関する事ではない

久瀬だったものがそれでも動き、こちらに向かってくるからであった

「…こっちっ」

(まずは全員集合…)

舞はそこかしこで響く悲鳴の中、冷静に駆け出す

 

 

 

 

 

〜通学路〜

「…街全体…か?」

俺は嫌でも耳に入ってくるさまざまな音から
確実に街全体が異常であることを悟っていた

道すがら、俺たちは周囲を警戒しながら水瀬家へと急ぐ

香里やあゆ、栞にも備えを渡すためである

もしかしたら真琴や舞達もこちらに向かっているかもしれない

そして水瀬家への最後の曲がり角に差し掛かったとき、それは起こった

轟音、そして揺れ

どこかで爆発…?

「大丈夫か、皆?」

「なんとか…でもなんだろう今の…」

「相沢君、名雪の家に行くんでしょう? とりあえず行ってからにしましょう」

全員香里の言葉に頷き、足を進める

 

 

 

俺たちが水瀬家についてしばらく、
知り合いほぼ全員が集合となったのであった

 

俺と名雪以外はまず目の前の事実に、
そしてラジオから聞こえる非常事態が全員を打ちのめす事をそのときは知らずに…

 

 

続く

 

あとがき

この後からいよいよ…この作品を書き始めた理由が…(何

感想その他はBBSなりメールでお待ちしています

TOPへ